(2005.2.1-2005.11.29)


 いつもの休日のようにゆっくりとモーニングティーを楽しみました。 コールポートの古くて美しい絵柄のティーセットを選んで、音楽はカラヤンのアダージョ集を聴きながら・・・。 居間の大きな窓からは鉛色の空が広がって大粒の雨が音をたてて降っています。 雪野原の白樺林は強風にゆれてうねっています。 となりのテニスコートはネットがはずされて四隅の鉄柱が木立に混じって立っています。
               
  先日、家の前で真っ白い大きな野うさぎが月光に照らされて飛び跳ねていました。 昔、ピーターラビットのようなうさぎを飼っていたことがあり、それはそれは可愛かったのを思い出しました。 また、友人とトムラウシに登山した時、 頂上直下の野営地にテントをはって、朝日を見ようと午前3時半頃 外に出た時、数メートル先の雪渓の上で3兎が跳んで遊んで いたのを思い出しました。 夢のような光景でした。
                 
 動物は大好き。 愛情を示すと、それ以上に大きな愛を輝やかせてくれます。 いまは2匹の猫を飼っています。 毎日帰りを窓辺で 待っています。 ”あるがまま”を示してくれる。 存在そのものが 優しさを教えてくれる、そう、”ペット菩薩” ピッタリの言葉です。

 (2005.11.29)


   CONVERSATIONS WITH GOD より抜粋
 
  どうして、生きとし生けるものがすべて、神は自分の味方だと信じているのか、わかるかな? ほんとうに、わたしがすべての味方だからだ。 生きとし生けるものはみな、それを直感的に知っているのだ。 それは、「あなたにとってのあなたの意思は、あなたにとってのわたしの意思だ」ということでもある。
                  
  わたしはあなたがたすべてに自由意思をあたえたといってもいい。 あなたがたは自分を決めるプロセスにいる。 すべての行為が自己規定の行為だ。 創造している自分を気に入っていて、自分のためになっていれば、そのまま続けるだろう。 そうでないなら、中止する。 それが進化というものだ。 このプロセスは遅々としている。  進化しながら、あなたがたはほんとうに自分のためになると思うことをころころとかえるからだ。
                  
  何が自分の役に立つと思うかは、何をしようと考えているかによって決まる。 シアトルに行くつもりなら、サンゼノに向かっても役に立たない。 サンゼノに行くのが「倫理的に正しくない」のではない。 ただ、役に立たないのだ。 そこで、自分が何をしようとしているかが、最も重要な問題となる。 人生全体にとってだけでなく、個々の瞬間でもそうだ。 なぜなら、人生が創造されるのは、個々の瞬間だから。 考えるべきことはひとつだけだ。 これはほんとうのわたしだろうか? いま、ほんとうにこういう自分を選択するのか? そして、いいかね。 何の結果にもつながらない無意味なことは何もないことを覚えておきなさい。 すべてに結果がある。 その結果とは、あなたは誰か、何者かということだ。 たったいま、あなたは自己を規定する行為をしている。 すべての行為は自己を規定する行為である。 あなたが考え、言い、宣言するのはすべて、「これがわたしだ」ということだ。
                  
  あなたがたに言っておきたい、いとしい子供達よ。 自分は何者か、どんな自分になるかを選択するというのは、とても重要なことだ。 神は決してその選択権を奪わないし、罰しもしない。 あなたがたを指針なしに放り出しもしないし、今後も決してそんなことはない。 あなたがたのなかに、わが家へ戻るための指針のシステムが組みこまれている。 そのシステムとは、つねに最高の選択肢を語りかける声であり、最も偉大なヴィジョンを教える声だ。 あなたがたはその声に耳を傾け、ヴィジョンを捨てずにいればいい。 あなたがたは耳を傾けるだろうか? これは大きな問いかけだ。 世界はあなたの表明を待っている。 あなたは自分の人生によって、その表明を行う。 あなた自身が自分の最高の考えまで上がらないかぎり、人類が最低の考えから離れるチャンスはない。 考えはあなたを通じて表現される。 考えることは創造することである。 あなたは創造し、創造したものになる。 それがあなたの経験である。 それがあなたである。 あなたは何者か、それをあなたは考える。 ほんとうの自分についていだく最も偉大なヴィジョンの最も壮大なヴァージョンを選択し、経験する。 これがわたしたちの存在理由である。 最も大きな喜びである。

(2005.11.17)


  カフェ・レストランモーツァルトで使用しているストーブは一見薪ストーブのように見えますが、いま注目されている木質ペレットストーブです。 電気でファンを送りコンピューター制御されているFF式ストーブで、おが粉を固めてペレット状にした燃料を使用しています。
            
 間伐材の有効利用、地域での自給自足が可能で、完全燃焼に近いクリーンエネルギーのため地球温暖化や、森林整備に貢献します。 北海道には各地数カ所に木質ペレットの製造工場があり、15kgで約700円前後です。 お店のペレットストーブはカナダ製で薪ストーブのようなおしゃれな形です。 操作はとても簡単、 それに灰はほとんど出ません。 明るい炎とやわらかい暖かさは薪ストーブと同じ。 FF式なのでマンションでも使用できます。 今年は原油が高く不安ですし、いろいろな理由で、ペレットストーブが注目されているようです。
            
 いよいよ雪が降り始めました。 お客さまも少なくなってきました。 クルト・マズアのR・シュトラウスを聴いて過ごしました。

(2005.11.09)


 朝霧がたちこめる冷たい朝。 ニセコアンヌプリも羊蹄山も見えない。 深い霧の中に白樺の白い幹だけが幾本も浮かんで見えます。 濃厚な山の空気。 湿った落葉のアロマティックなかおり。 ほのかにきのこのかおりも漂ってきます。 この冷たい空気がいい。 やまぶき色の落葉が、道路をうめつくしているその上をサクサクと音をたてて歩くのがいい。 静寂の中に天を仰ぐ木立の美しさがいい。 ここが好き。 心はいつもそう言っています。
           
今夜も満天の星たちが頭上に降りそそぐでしょうか。 こんな日は、チャイコフスキーのピアノ小品曲集を聴きましょう。

(2005.10.25)


   『ダイアナ』〜〜天界のダイアナ妃より〜〜
8月9日のモノローグ掲載に続いて。

 人は物質的な快適さや豊かさを手にするのは、モノをいらないと思うようになったときです。 人が物質的なものに執着しなくなってはじめて、それを手にして楽しめるようになるのです。 モノに心を奪われ、執着すると、モノに支配されるようになり、モノを失くすとうろたえたり、他の人に分けあたえる余裕すらなくなります。 モノに支配される図式から抜け出すには、幻覚から覚めなければなりません。 幻覚にまどわされると、真実が見えなくなります。 あなたがたは居間に座り、テレビが流す何千人もの飢えた子供達の映像を漫然とながめることになります。 あなたの身に降りかかる問題でないかぎり、子供達を助けるための何の行動もとりません。 人はふつう、自分に役立つものは何か、という文脈で物事をとらえ、自己の利益を優先します。 心のなかで、あなたは、自分が大いなる全体の一部だと知っています。 画面に映った子供達が飢えているのは、頼りになる兄であり、賢い姉であるあなた方の責任であることも知っています。 なぜなら、あなた方は愛情と配慮、思いやりゆえに、また、その豊かさゆえに、彼等に分けあたえる責任があるからです。 彼らに何が起っているかを直視することは、あなたの身に起りつつある変化に影響します。 一つの人類に属す人間として、まわりの人が助けを求めているのに、あなた方だけが幸せになることはできません。 私の責任は、皆さまの心をひらくことにより、目をさましていただくこと。 そして皆さまの意識の一部になり、こちらの世界からニュースをお伝えすることです。 そして今回のニュース、それは、私がまさに今も生きつづけていること。 そうです、私は進化をつづけ、学びつづけています。 私はけっして沈黙いたしません、たとえ、遺体が地下約三メートルのところに葬られていても。 皆さまの心のクィーンとして、務めを果たすつもりです。 私は希望に燃えています。 私の魂はかつてないほど高揚し希望に燃えています。 私の声は日々、力強く大きくなっています。 あなた方が、愛ゆえにあたえたものを受け取り、愛ゆえに受けとったものをあたえるとき、あなた方の魂は意識の変化をとおして世界を治めていくのです。 心はそれに至る道を知っています。 あなた方はみな祝福された者。  ダイアナ    (本文より抜粋)

(2005.10.14)


 定休日の今日はお店の近くの方が、ぶどうが実ったから取りに来ていいよ、と言ってくださったのでぶどう狩りをしてきました。 お住まいの玄関回りの軒下にぶどうのつると葉が無造作に生い茂っています。 何年かけてここまで大きくしたのかしら? 彼の家は結構新しいはず。 手入れも肥料もなく放っていたらしいのですが、みずみずしくて大きくて甘いぶどうのふさが感激するほど沢山実っていました。 「嬉しい!嬉しい!」と歓声を上げて取らせていただきました。 グリーンとブラウンの大きな粒。 さて、夜はジュース作りです。 バッハのオーボエソナタを聴きながら大地の贈り物、はちみつ入りの美味しいぶどうジュースができました。 リッチに大ぶりのベネチアングラスに、濃厚なできたてジュースをたっぷり注いでいただきました。 おいしい〜〜〜! もちろん、明日お客さまにもお出しします。

(2005.10.4)


〜〜〜〜ワイルドホップ〜〜〜
 野生のホップを沢山いただきました。 自生している天然の薄緑色のホップ、輪にしてリースを作りドアに飾りました。 ドライになっても美しい色。 松ぼっくりに似た可愛い実。 お客さまが「すてきだね」と声をかけます。
          
〜〜〜〜ワイン色のビーツ〜〜〜〜
 「冷えたシャンパンと夕食をどうぞ」とお誘いがあり、喜んでお招きにあずかりました。 薄い琥珀色の冷たいシャンパン、目も醒めるような色のビーツと玉葱の酢漬け、ザワーキャベツ、チキンのホワイトソース煮、ズッキーニとなすとアスパラのトマトソース煮、そして温かいパン。 とても美味しい夕食と、音楽を聴きながら楽しいおしゃべりが続きました。 あのビーツのあまりにも美しいワイン色が目に焼きついて、翌日お店に注文しました。 ゴロゴロした石のようなビーツ、皮をむくとほのかな香りと鮮やかなワイン色。 たっぷりと作って大切に保管してお客様にお出ししましょう。
          
〜〜〜〜『あかね』というりんご〜〜〜
 お店に注文して仁木産の『あかね』を何箱も買いました。 一年分のアップルクランブル用の煮りんごを作るためです。 この時期だけの『あかね』。 皮をむくのがもったいない程真紅な色。 本当に美しい色!! こんなに真っ赤なりんごはほかにないでしょう。 夜は毎日煮りんご作りです。 キッチンはあまずっぱい幸せな香りが充満します。 大きなコンポートに秋色の真っ赤な『あかね』を沢山入れてテーブルに飾ります。 豊かで鮮やかな色彩に囲まれた秋です。

(2005.9.29)


  九月、初秋の気配から日増しに深い秋へと移っていきます。 白樺の葉が黄金色に色づきながら夏の仕事を終えて枝から離れます。 そして、いま、大自然の恵みの収穫の季節。 沢山の種類のとれたて野菜をいただきます。 旬の味はどれも贅沢で美味しい!!
           
 秋になると、チェロの曲が聴きたくなります。 この頃は、チェロの曲ばかりです。 たとえば、ベートーヴェン、R・シュトラウスのソナタ、シューベルトのアルペジォーネソナタ、ハイドン、ドボルザーク、エルガーなどのコンチェルト、シベリウスのチェロ作品集、・・などです。 チェロの荘厳で魂をゆさぶるような豊かな音色は、深々とした感動を誘います。 至福な感覚に満たされます。
          
 毎年の恒例のような私の秋の選曲です。

(2005.9.16)


  『ダイアナ』〜〜 天界のダイアナ妃より〜〜
       発売 星雲社
 この本に出会った時はとても驚きました。 
亡くなられたダイアナ妃がノルウェーのチャネラーを通して私達に生命の根源を伝えてきたもの。 深遠な英知に満ちあふれた本です。 この本を読んで信じるか、信じないかを選択するのはそれぞれですが、紹介させていただきます。
          

 1997年9月10日
このさわやかな夕べ、皆さまにご挨拶いたします。 私がこのように現われたので、大変不思議に感じていらっしゃると思います。・・・
          
 ・・・あなたは完全に自分自身に対して正直でなければなりません。 魂は不実には耐えられないもの。 感情においても、他者へのふるまいにおいても、また他者があなたに対してどのような行為をしたとしても、 あなたは常に正直でなければなりません。 そうすれば、心のエネルギーがあなたのすみずみまでゆきわたり、あなたは高い波動に満たされ、高次の魂の高い振動周波数を肉体内に維持した状態になります。 すなわち今生のただなかで、心身の調和と統一性を回復し、完全な存在になれるのです。 そう、かってイエス・キリストが我々にお示しになられたように。
          
 「生命」という貴重な贈り物。 どうかその価値を大切にしてください。 そうすれば内なる存在の目で「生きる」こと自体に価値を見い出すことができるようになり、どうすれば幸せになれるかなんて気にかける必要もなくなるのです。 人は自分の人生について、また人生で遭遇するできごとについて責任があります。 この点をしっかり覚えておいてください。 日々の生活のなかで毎秒ごと、人は何かを考え、何かを感じ、何かを意図します。 そのすべてに責任があるのです。
          
 心の声に耳を傾けることが大切です。鏡に映る姿や、自分の過去の業績といった外面ばかりを気にするのはやめて、心がなにを求めているかを知ることです。 人生を味わううえで価値あるものとはなんでしょう? それは人生のもつすばらしい可能性を味わうこと。 すなわち、人生には新たな自分になる可能性、また、自分自身が変わり、新たな局面を拓く可能性があふれています。 心の視点から世界を知り、経験する、そして心のなかの愛を信頼すれば、地上の生を思いっきり楽しめます。 そう、人生はすばらしい可能性に満ちているのです。 心の意識を高め、内的宇宙を静かに見つめ、怖れや裁きではなく愛情をもって内なる存在と対話してください。 そうすれば変化はあなたの内で完成します。  この通信は私から皆さまへの贈り物。 もう一度皆さまのところへ戻ってきたのは、この真理へ通じる道を思い出していただきたいとの願いからです。(本文より抜粋)

(2005.8.9)


  雨があがって爽やかなここちよい風が室内を通り抜けます。 窓辺の白樺の葉の間から木漏れ日が夏らしい光を放っています。 もう7月も終わり、つい
先日残雪が消えて冬が終わったと感じたのに。 ベルガモットの鮮やかなピンク色の、ぎぼうしの上品なうす紫色の、紅い小さななでしこの、沢山の花々が一斉に咲いています。 短い夏の饗宴です。
          
 お客さまが見えない合間に久しぶりにモーツァルトのピアノコンチェルトNo23、26をボリュームを上げて聴きました。2000年に亡くなられたグルダの演奏です。 ジャズに傾倒していたグルダのリズミカルなモーツァルト。 そういえば明日から倶知安町で今年16回目のジャズフェスティバルがあります。チケットをいただいたので初めて行ってみようかと思います。夜までの野外コンサートです。
          
 カフェ・レストランモーツァルトはTIMEDOMAINの試聴室なのでお客さまが色々なCDを持ってこられて聴いています。ジャズファンが多いなと感じます。どちらかといえば静かなジャズ、気持が落ち着くような曲。 おかげで私も好きなレパートリーが増えました。

(2005.7.29)


  先日、ロザムンド・ピルチャーの「シェルシーカーズ」を読み終えて、これから「双子座の星のもとに」と「スコットランドの早春」を読みはじめます。 就寝前の読書はリラックスできて楽しいひとときです。 「シェルシーカーズ」は深い感動とともに終了しました。                         
           
”独立自尊。それこそ、人生の大切なキーワード、運命が人に投げつける、どのような危機をも何とか乗り越えさせてくれる、ただ一つのものだ。 自分自身でありつづけること。 他に依存せずに独立独歩で生きること。 あらゆる意味で才覚を働かせ、自分のことは自分で決めて行くこと。 自分の余生についても、自分で決断をくだし、自分でそのコースを定めて行くこと。 私は子供を必要としていない。あの子たちの欠点をわたしは知っている。 認めている。 あの子たちを愛してはいるが、必要としてはいない。 できることなら、どうか今後もそうでありますようにーーーと彼女は祈った。”(文中より)
           
 女性の一生を描いた物語でした。 また、自然への描写がとても美しい。 中村妙子さんの翻訳もすばらしいのでしょう。
           
 今夜はちょっと甘めの白ワインと、GETZ/GILBERTOのボサノバを聴きながら、外国から届いたメールの文章を辞典とにらめっこしながら訳しています。 『あなたのシェパーズパイとアップルクランブルはとてもおいしかった』 と、お誉めの言葉が書かれてありました。なんだか嬉しい。

(2005.7.26)


 いま私は、以前から読みたいと思いながら、その機会を逸していたロザムンド・ピルチャーの『シェルシーカーズ』上・下をやっと読みはじめることができました。 お店のメニューの下ごしらえや、ケーキ作り、掃除など、きりがないくらいの仕事に充実した時間を費やしてはいますが、それ以外の私だけの貴重なひとときを持っていたいと心がけてきました。 たとえば、散歩の中から自然の移り変わりの気配を感じたり、音楽をゆっくり楽しんだり、という至福の時をこれから暫くは『シェルシーカーズ』にあてることになります。
            
 ロザムンド・ピルチャーはイギリスのローカルな町での日常的な生活を、温かく愛情溢れる描写で物語る味わい深い小説を沢山書いている女流作家です。 6年ほど前に彼女の短編集をお客さまからいただいて、それ以来大好きになりました。 静かに自分の内面を見つめて、ほんとうの気持ちと素直に向き合うなかでの誠実な関係。 自分にもひとにも隠し事のないすがすがしい交流。 そこに流れるしみじみとした優しさ。 成熟した素敵な大人たちが登場して、物語に心がうばわれてしまいます。 また、いたるところで、珠玉の文章をみつけます。 その部分を声を出して読みたくなります。ーーーとにかく、そういう小説なのです。
            
 誠実な交流。 まごころを感じる人間関係。 心が深く傷ついたことのあるひとにとっては、このような”誠実な関係” に思いをはせるのではないでしょうか。 ロザムンド・ピルチャーが小説を通して読者に語りかけている真実。
            
 シェルシーカーズの長篇を読みはじめる前の、私なりのプロローグでしょうか。

(2005.7.12)


 ( Conversations with God ) より抜粋

 わたしは、世界がいまのようであるのはー雪の結晶が雪の結晶として存在するようにーはっきりと意図された結果だと言っている。 あなたがたが、そういう世界を創り出したのだ。 自分の人生を創り出したように。 わたしが望むのは、あなたが望むことだ。 あなたがほんとうに飢餓を終わらせたいと思った日に、飢餓はなくなるだろう。 そうするための力はすべて与えてある。 その選択をするための道具をあなたがたはすべてもっている。 だが、そうしなかった。 できないからしないのではない。 世界は明日にでも飢餓を終わらせることができる。 あなたがたが、その選択をしないのだ。 毎日四万人が死ぬのには、やむをえない理由があるのだと、あなたがたは言う。 だが、そんな理由はない。 あなたがたは毎日四万人が餓死するのを止められないと言いながら、一方では毎日五万人の新しい命を誕生させている。 それを、あなたがたは愛だと言う。 それが神の計画だと言う。 そんな計画は論理的でもなく、根拠もない。 まして、同情とはなんの関係もない。 あなたがたが選んだから、世界はいまのような状態なのだ。 あなたがたは、組織的に環境を破壊しておいて、いわゆる天災を神の残酷ないたずらだ、自然の厳しさだと言う。 だが、自分にいたずらを仕掛けているのはあなたがた自身であり、残酷なのはあなたがたのやり方だ。 自然ほど優しいものはほかにない。 そして、自然にたいする人間の仕打ちほど残酷なものもほかにない。 それなのに、あなたがたは手をこまねいて、全責任を否定している。 自分達の過ちではないとあなたがたは言うが、それもあたっている。 過ちではなく、選択の問題だからだ。
              
 あなたがたは、明日熱帯雨林の破壊を止めることができる。 地球を守るオゾン層の破壊を防止しようという選択ができる。 地球の精巧な生態系への攻撃をやめようという選択ができる。 雪の結晶を元に戻そうと努力すること、あるいは少なくとも容赦なく溶けていくのをくい止めようと努力することができる。 だが、あなたがたはそうするだろうか? 同じく、明日すべての戦争を終わらせることができる。 簡単に、たやすく。
              
 いま必要であり、これまでも必要だったのは、全員が心をひとつにすることだけだ。 だが、人間どうしの殺しあいを終わらせるという基本的で単純なことでさえ、全員が同意できないのに、どうして天がこぶしをふりまわして、あなたがたの人生に秩序をもたらしてくれるなどと期待するのか。 わたしは、あなたがた自身がしないことは何もしない。 それが法則であり、預言だ。
             
 世界がいまのようになったのは、あなたがたのせいだ。 あなたがたが何かを選択した、あるいは選択しなかったせいだ。 地球がいまのようになったのも、あなたがたのせい、あなたがたが何かを選択した、あるいは選択しなかったせいだ。 あなたがた自身の人生がいまのようになったのは、あなたがたのせい、あなたがたが何かを選択した、あるいは選択しなかったせいだ。 あなたがたは自分の現実の創造者だ。 そして人生はあなたがたが予想するようにしか展開しない。 考えることは現実になる。

(2005.7.4)

 

 『神との対話』Conversations with God
       ニール・ドナルド・ウォルッシュ
       サンマーク出版

”おおぜいのひとが、この本のおかげで自分は変わったと語ってくれた。 真剣な心と、魂のあこがれと、開かれた精神をもち、真実を求める旅を始めたひとたちすべてへの、すばらしい贈り物だ。”
            
あなたがたは、死ぬのはよくない、という社会を創りあげた。死んでもいいなんて言ってはいけない、そんな社会だ。 あなたがたは死にたくないから、どんな環境あるいは状況でも、死ぬことを望んでいる者がいるなんて想像できない。 死にゆくひとは、まわりのひとが死を受け入れたがらないことを知っている。 医療専門家はみんな、ひとが安らかに尊厳をもって死ねるようにするのではなく、ひとを生かしておくように訓練されている。 医師や看護婦にとって、死は失敗なのだ。友人や親戚にとって、死は災いだ。 ただ、魂にとってだけ死は救い、解放だ。 死にゆく者への最大の贈り物は、安らかに死なせてやることだ。 まだ生きると言い、まだ生きられると信じていると言うひと、生きたいと祈っているひとでさえ、魂のレベルでは「気が変わっている」ことがしばしばある。 魂が身体を捨てて自由になり、べつの探究の旅に出る時がきた、と決意したら、身体がなにをしても決意をひるがえすことはできない。 精神が何を考えても、変えることはできない。 死ぬ時に、身体と心と魂のうちのどれがものごとを動かしているのかがわかる。 一生を通じて、あなたは身体が自分だと思っている。 時には精神が自分だと思うこともある。 ほんとうの自分は何者かを知るのは、死ぬときだ。ーーーーだが、とどまることはもっと高い目的に役立たないーーこの身体を通じてはもう発達できないーーと、見きわめているときには、魂は去ろうとする。 その時は引き止めることは何者にもできないし、引き止めようとすべきではない。 発達進化することが魂の目的であることははっきりしている。 魂はまったくべつの見方で死を見ている。もちろん「生きること」も違う目で見ている。 魂が追求しているのは、想像しうるかぎりの最高の愛の感情だ。 これが魂の欲求、目的だ。 魂は感じようとしている。 愛を知ろうとしているのではなく、感じようとしている。 人間の魂の目的は全てを経験すること、それによってすべてになりえることだ。 あなたの魂は最高の感情を求めている。 最も気高い、こうありたいと思う自分を考えなさい。 いまは、あなたは最高のヴィジョンを生きていないのだから。 いまの自分とこうありたいと望む自分の違いがわかったら、考えと言葉と行動を気高いヴィジョンにふさわしく、意識的に変えようと決心しなさい。
              
あなたがたは善であり、慈悲であり、同情であり、理解だ。
あなたがたは平和であり、喜びであり、光だ。
あなたがたは赦しであり、忍耐であり、力であり、勇気であり、
苦しいときの援助者であり、悲しいときの慰め手であり、
傷ついたときの癒し手であり、迷ったときの、教師だ。
あなたがたは最も深い知恵と真実、最も偉大な平和と愛だ。
あなたがたはそういう者なのだ。
              
これからは、いつも、自分はそういう者だと理解していなさい。

(以上本文より抜粋)

(2005.6.26)

 

 ニセコはいまとても美しい季節です。ふくよかでえもいわれぬ優しい自然に満ちあふれています。 深い朝もやにかすむ白樺の白い幹、 残雪のアンヌプリ、 野草の可憐な花の群生、 山菜の宝庫・・・
         
 お店の窓からは、グリーン色の陽光が交叉して、そよ風が室内を通り抜けます。 なんと澄んだ空気、 初夏のいま、自然は贅のかぎりをつくして、ダンスを踊っているかのようです。
         
 ここ数日、マレイ・ペライアのピアノ曲、ヘンデルとスカルラッティを聴いています。 朝の冴えた空気のなかで聴くヘンデルのクラヴィーア組曲は最高です。 お金やものがあっても無くても、そういうこととはいっさい関係なく、本物の豊かさが何なのか、知覚できるのはすばらしい。
         
 こうして毎年、深い感動をもってこの季節を迎えてきました。 豊かな自然がいつまでも続きますようにと。

(2005.6.18)


 先日、アルバンベルク四重奏団のギュンター・ピヒラーさんはじめ四人全員のサイン入りのCDをある方からいただきました。 演奏会に行かれた時サインをお願いしてカフェ・モーツァルトへ進呈くださったのでした。 やったー!アルバンベルク全員のサイン入りなんて夢みたい、と、大喜びしました。
          
 そのCDはバンドネオン奏者との共演で、ピアソラや、コビアンなどの曲で、『Tango』Sensations、  ”タンゴとクラシック音楽の、みごとな融合”と、あるようにアルゼンチンタンゴとは別もので、まさに革新的なクラシック音楽そのものです。 アルバンベルク四重奏団は1970年に結成されて、私も当時から聴いていました。 シューベルトの四重奏曲はとくに好きでいまも時々聴いています。
          
 このCDを聴きながら、思いました。  ものごと、できごと、それらを動かす全ての意識が常に変化し、進化しているならば、 芸術家、と呼ばれる人たちの芸術に対する想いは、刻々と変化し、停滞することなく変容させていくのを当然とすることでしょう。 人の賞賛や熱烈な評価のみならず、彼等が思う本当に大切なことは、意識を常に高みへと昇華させて、美を追求し、挑戦しつずけることこそが喜びであり使命なのだろう、と。 芸術家から、私たちは生きる喜びや、希望、品格をいにしえより享受してきたのですから、彼等はかけがえのない宝です。
          
アルバンベルク四重奏団の『Tango』を聴きながら思ったことでした。

(2005.6.10)


 火曜日の定休日はとても忙しく過ぎていきます。 この間からお店の横に恥ずかしいほどの小さなハーブガーデンを作っています。  砂利と粘土質の硬い雑草混じりの土を掘り起こし(これが大変、すっかり腰を痛めてしまいました)よくわからないなりに、土と肥料を混ぜて幾つかのハーブを植えました。 採れたてのハーブをお料理に使うとほのかな香りが何とも贅沢な一品に仕上がります。
            
 いままで母と暮らしていて、菜園はほとんど母の仕事で、いつも楽しそうに働いていました。私は優雅にコーヒーを飲みながら眺めていただけでしたが、いま、一人になって母のしていたことを思い出しながら、楽しく畑を作っています。 お料理によく使うのはローズマリー、タイム、チャイブ、セージ、バジル、イタリアンパセリ、ミントなどです。
            
 小さなハーブガーデンのまわりの草の間には、すみれやわすれな草を植えました。 雑草の間から可愛い顔をのぞかせる小さな花は見ていると微笑みたくなります。 今日は涼風に揺れて白樺の葉がおしゃべりしている中での仕事でした。その後、美味しいコーヒーを入れて外の椅子に座っていただきました。朝から夕方までの労働のあとのコーヒーのおいしかったこと!!

(2005.6.7)


『魂との対話』(THE SEAT OF THE SOUL)
ゲーリー・ズーカフ(GARY ZUKAV)
サンマーク出版

ゲーリー・ズーカフ(GARY ZUKAV)
ハーバード大学卒業
1979年『The Dancing Wu Li Masters』で
アメリカン・ブックアゥオード科学部門賞受賞
量子物理学を学びたい人たちのバイブル的存在
89年、本書全米ロングセラー
99年『SOUL STORIES』全米ベストセラー
16カ国翻訳

 あなたの魂は永遠に死ぬことのないあなたの一部である。全ての人間が魂を持っている。しかし五感の知覚領域内にとどまり続けているパーソナリティは魂の存在に気づかず、それゆえにその魂によるさまざまな影響を認識することができない。それを認識するには、五感の限界をうち破り多感覚的にならなくてはならない。そうなったときからパーソナリティは自分の直感、ひらめき、フィーリングといったものを重要視するようになる。五感のみを用いていたのでは入手できない情報を入手できるようになるということにほかならない。 あなたの魂はあなたの胸の中の一空間を占有する受動的な存在、あるいはたんなる理論上の存在などではけしてない。 それは、あなたという人間の中心部に存在する、確たる目的をもつ積極的な力である。あなたがかかわっているエネルギー力学の性質を理解する,あなたの一部であり万人を無条件に愛し、まったく裁くことなく受け入れることのできるあなたの一部である。 もしあなたが自分の魂について知りたいならば最初のステップは、自分が魂をもっていることを認めることである。 そして次のステップは、このように考えることを自分に許すことである。『もし私に魂があるのならそれはどんなものなのだろう? 魂は何をほしがっているのだろう? 魂と私はどんなかんけいにあるのだろう? 魂は私の人生にどんな影響を及ぼしているのだろう?』
           
 この地球上であなたが手にする体験の全てが、あなたのパーソナリティと、あなたの魂との同調をうながすためのものである。あなたが遭遇するあらゆる環境や状況が、あなたにこの道を選択する機会をあたえている。 この道を選択したとき、あなたの魂に、あなたを通じて自由に輝かせることを選択したことになる。
            
 やがてあなたの魂は、あなたを通じて、生命にたいする果てしない畏敬の念と愛を、この物理的な世界の中にたっぷりと持ち込んで くるだろう。
(文中抜粋)


(2005.6.2)


  連休を含んだ5月は沢山のお客さまが店に来てくださいました。一人できりもりしているため待ち時間が長くなる時もあり、ご迷惑をおかけしました。この文中で心からの感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。
          
 いままでも、そしてこれからも私は誇りをもって楽しくこの店をやっていきたいと思います。 奇形だった頭の血管の手術は成功して、このように再度仕事ができることはこのうえなく幸福です。 そして誠実な優しさに出会うたび、謙虚な喜びを感じます。
          
 毎日の楽しみは『今日はどんなお客さまがみえるのだろう』です。わくわくしてお待ちしています。
          
 白樺の若葉が一斉に輝きはじめました。生命の躍動を感じます。緑は大地の贈りもの、歩きながらついついモーツァルトの”K596春への憧れ”をくちずさんでいます。

(2005.5.27)


 読んだ本の紹介です。

 セスは語る(Seth Speaks)
  ジェーン・ロバーツ、ロバート・F・バッツ
            =ナチュラルスピリット社=

 自分に正直になり、自身を意識的に自覚できるようになるまでは、素直に他者と関わることはできません。さもなければ、他者に自分の恐れや偏見を投影してしまうことになるでしょう。 自分自身が膨大な不安材料を抱えていながら、他者を助けることはできません。 みずからの思考を変える必要があります。 日常生活の一瞬一瞬において、自分に対して言っていることが、真実だと意識できているようにならねばなりません。 それがあなたが外に向けて投影している現実にほかならないからです。
              
 自分自身の状況を変える力は、ほかでもないあなた自身にあるのです。 深く内面を見ていき、直感に心を開き、そして、もっとも肝心なことは、そうした『叡智を受けとりたいと望む』姿勢が必要なのです。 己を吟味せずして現実を吟味することはできないのです。 『真実』とはあなたのことに他ならないのです。 それならば、真実である『あなた自身』を発見してください。 内面を見つめる能力、意識を深く集中させる能力、なおかつ、学ぶことへの熱心な願望が、内なる自信と結びつき『すべての答えはすでに自分のなかにある』ということを理解するのです。
              
一人一人の人間が、直感を通して、より深い知識に至る術を持ち、内なる現実をかいま見る能力をもっているのです。
              
−−−宇宙が私達に伝えたいのは、まさにこのことなのです−−−
(以上本文より抜粋)

(2005.5.23)


  佐藤正美さんの曲だとわかって聴いた曲は”雨上がりの空”というギターソロでした。雨上がりの空にすがすがしい小鳥のさえずりが聞こえてくる、さわやかでエレガントな曲です。店のYoshii9でこれを聴くと、まるで自分が戸外に立って体験しているような臨場感そのものです。 他の曲も聴いてみたいと思っていたら、知人がサイン入りのCDを持っておられて彼を知っていました。
           
 私は10代の頃クラシックギターにのめりこんでいました。 弟も弾いていて高校生の時に大ホールで『モーツァルトの主題による変奏曲』を演奏したこともあり私達姉弟はギターを楽しんでソル、カルカッシ、ターレガなどに励んでいました。・・・随分むかしのことですが
           
 この”雨上がりの空”をきっかけに佐藤正美さんの”バルセロナロマンス”というのを買って聴きはじめました。ノスタルジーを漂わせている素敵な曲ばかりです。 仕事をしながら、お茶しながら、何も考えずボーとしている時など、心がくつろぎます。 それでまた、(窮状なのに)もうひとつ注文してしまいました。届くのがすごく愉しみです。   あーー、音楽って、ほんとうにいいですね!
           

         そよ風のショーロ
    緑にふきぬけるさわやかな風に乗って
    楽しいメロディがきこえてくる
    森の妖精たちがそよ風に揺れる
    木漏れ日をスポットライトにダンスを踊る
               (ライナーノーツより)

(2005.5.16)


  あなたはご自分の感情に耳を傾けていますか? 感情は魂の言葉です。 自分がどう感じているのかを さぐることは重要です。 自分の外側にではなく、内側に目を 向けて内面深くさぐっていくと必ず今、自分がどう感じているのか、 自分にとっての真実とは何か、に行き着きます。 感情をどう 扱うかを学んでいないため、厄介もの扱いしていますが、 あなたのもっとも深い感情の中に最も高い真実が隠されています。
  
 感情は否定的でも破壊的でもなく、シンプルなあなたの真実です。 私達が教えられてきた「感情をかくす」ことは意識して人生を選ぶことができず、無意識に物事を選択していることと繋がります。
 
 自分が感じていることに敏感になることです。そうすれば、責任のある選択ができます。 やがて、あなたを、可能な最高の生き方ができるように、宇宙が導こうとしていることに 気づきはじめるでしょう。
     
 魂はあなたの感情に語りかけます。だから、自分の感情に耳を すまし、従い、大切にすることです。 そうすれば、自分にとって何が「最善」かもわかります。 あなたにとっての最善とは、あなたにとっての真実です。

     参考 GARY ZUKAV [SOUL STORIES]

NEALE DONALD WALSCH [CONVERSATIONS WITH GOD]

(2005.5.8)


  舘野泉さんのエッセー「ひまわりの海」を読みました。 その中にデオダ・ド・セヴラックのピアノ曲『大地の歌、ラングドック地方にて』について熱い想いが書かれてありました。

 ”ドビッシーの言う「とても素敵な香り」だろうか。そうかもしれない。香水や花のそれではなく、緑が広がる大地の香りだ。色彩?そうかもしれない。華麗ではないが、みずみずしく豊かで、いつも新しく蘇る色。自然は常に再生する! 死さえも、また生き返り蘇るための準備にすぎない。 ・・・”(文中より)
こんな素敵な文章を読んでしまうと絶対に聴いてみたい!

 さっそく注文しました。
セヴラック:大地の歌、ラングドック地方にて
      ワーナーWPCS11028〜9(レコード芸術推薦)
      ピアノ舘野泉
 
 フランス音楽らしい、音がかなでる色彩。音の組み合わせの美しさ、構築された和音の絶妙な美しさ、それはたとえば、光と影。静かな水面に漂うさざ波に陽があたり、繊細でクリスタルな彩りを 見せてくれるような、あるいは力強いハーモニーであったり。 故郷をこよなく愛し慈しんだというセヴラック。 舘野泉さんの表現したセヴラックでした。この曲は聴くほどに温かさを感じます。

(2005.5.3)


 朝、目覚めと共にカーテンを開けると羊蹄山が 目に飛び込んできます。窓からはみ出るその山は 圧倒するほど大きく、深々と雪で覆われて晴れた 朝には陽に輝いて目が眩むほどに迫ってきます。
      
 四月に入ると除雪から解放されて朝の散歩を再開 しました。スキー場への道から逸れて広い畑の中の道を 暫く行くと林に囲まれた十数軒のログハウスの集落が あり、ほとんどがセカンドハウスで週末には菜園を 楽しんだり思い思いの過ごし方をしているその一角に 私は住んでいます。周囲の畑にはまだ固い雪が1・2 メートル程積もっていて、その上を歩きます。 羊蹄山の反対側にはニセコアンヌプリの山がすぐそこに あります。スキー場は五月連休までオープンしていてまだたっぷり の雪で楽しめます。
        
 固い雪の上を歩くのは疲れますが雪を撫でて吹く風は 山のわき水のように冷たく、まじり気のない清らかでたっぷりな エネルギーを含んでいるようです。林の木々の枝は固い 外皮から新緑の芽を出す時期をジッと待ち、全ての生命が 再生の時を待ち構えているように感じます。  この季節が たまらなく好きです。冷たい風の中にかすかな早春の香りを 敏感に受け取ります。 一時間程散歩を楽しんでから 残りの時間をモーツァルトのピアノ曲を聴きながら 朝の仕事を終えて店に行きます。
――――――このごろの私の朝の日課です。

(2005.4.21)


 私は、R・シュトラウスの音楽も大好きです。
以前よく聴いていた、彼が晩年に作曲した「四つの最後の歌」という曲を、この頃またよく聴くようになりました。

 数年前、いくつかのつらい出来事が重なって、激しい落胆におそわれ、苦しい毎日が続いていました。私自身の土台が崩れてしまったのです。
「なぜ私はここに居るのだろうか」「何を求め、どこに行こうとしているのだろうか」という問いが吹き出してきました。私の根源への問いかけでした。

―― そうして、そこから得たものが、これからの私にとって、かけがえのない歩みとなって、顕現されていくのだろうと感じています。

 そんな時間を経過して、再び静かに、この「四つの最後の歌」を聴いていると、しみじみと深い感動へといざなわれます。 波乱万丈だった長い人生を全うした作曲家が、その終焉の時、静かで、安らかな、しかも、光り輝く色彩に溢れんばかりの珠玉の音楽を私たちにプレゼントして下さった、そう思わずにはいられません。 この曲に惹きつけられるのは、一つ一つの曲に、四季おりおりの豊かな自然の風景が心の中で描かれるからでもあります。その風景はまた、年令と共に変わります。 巡りゆく季節の中で、私たちもまた、めぐりゆく者。音楽に風景を重ねる事は、その曲がより深く自分とかかわっていきます。とてもいとおしい音楽として再現されます。私はルチア・ポップ、デボラ・ヴォイトの歌を聴いていますが、色々な歌い手で聴いてみるのも楽しいことと思います。

(2005.4.7)


私は、私自身の内面を豊かに養っているのだろうか?
さて、あなたは以下の文を読まれて、どう思われるでしょうか?

「Conversation With God」--サンマーク出版-- からの抜粋

あなたがたは肉体と精神と魂という三つの部分からなっている。大半の人は自分を肉体として経験する。三十才を超えると、精神すら忘れられてしまう。読書もしなくなる。ものを書くこともなくなる。教えられなくなる。学ばなくなる。精神は忘れられる。養われない。ひろげられない。新しいインプットはない。最低のアウトプットしか求められない。精神は糧を与えられない。目覚めない。なだめられ、にぶる。精神をにぶらせることばかりをする。テレビ、映画、くだらない本。何をするにしろ、ものを考えない。まったく考えない!たいていの人は肉体のレベルで人生を送る。考えてみれば、たまらなく悲しいことではないか。あなたは魂を養っているだろうか?そもそも魂の存在に気づいているだろうか?魂を癒しているだろうか?傷つけているだろうか?成長しているだろうか?退化しているだろうか?拡大しているだろうか、縮小しているだろうか?あなたの魂はあなたの精神と同じように孤独だろうか?もっと無視されているだろうか?あなたが前回魂を感じたのはいつのことだったろう?喜びに泣いたのはいつだった?詩を書いたのは?音楽をつくったのは?雨の中で踊ったのは?パイを焼いたのは?絵を描いたのは?赤ん坊にキスをしたのは?ネコを抱き上げてほおずりしたのは?山登りをしたのは?裸で泳いだのは?夜明けに散歩したのは?ハーモニカを吹いたのは?夜明けまで話し込んだのは?何時間も海辺で森の中で愛し合ったのは?自然とふれあったのは?神を求めたのは?黙って座り、自分という存在の最も深い部分にまで旅をしたのは、いつだった?魂に「やあ」とあいさつしたのはいつだった?
三つの面を持つ存在として生きたとき、あなたはようやくバランスがとれる。魂に関することがらに関心を持つようになる。霊的なアイデンティテイ、人生の目的、神との関係、成長への道、霊的な成長、最終的な運命。意識が高まれば、高まるほど、あなたは自分という存在のあらゆる側面を充分に認識するようになる。

--- by Neale Donald Walsch ---

(2005.3.13)


今日は最近読んだ本の中で、たいへん感動した本を紹介させていただきます。

1984年米国副大統領候補者にノミネートされた女性、そして、ファンデーシァン・フォー・コンシャス・エボリューション代表(The Foundation for Conscious Evolution)でもある未来学者バーバラ・マークス・ハバード著書「意識的な進化(Conscious Evolution)」=ナチュラルスピリット社刊= という本です。

私はこの本を読んで本当に驚きました。私たち人類の未来に、これ程深い洞察力と大いなる志について書かれた本があるなんて!そして彼女と同じく人類への目覚めと希望と光と大いなるビジョンを私たちに贈り続ける多くの未来学者たちがいることも知りました。このかけがえのない美しい地球にいる一人としてあなたも是非興味を持って、読んでいただきたいと思い紹介しました。

***

・・・・この未来のビジョンは、私の直観であり、私のハートが望んでいるものです。また私が選択したものであり、私の姿勢なのです。これを読みながら、あなたの選択するものは何か、未来に強く望んでいるものは何か、考えてみてください。目先のことではなく、五百年ほど先の人類が次の進化の段階に進むころのことを考えましょう。人類の持つ最高の創造力がつながっていき、新しい基準が確立されることを想像したとき、果たして、何が見えてくるのでしょうか。  (以上本文より抜粋)

(2005.2.26)


ニセコアンヌプリの山に越してきて15年がたちました。ここで出会った人たちは優しい。
本当に好きなことをして暮らしたいと思って、いざなわれてきた人たちは、心がやわらかい、人生をあきらめない。
そして、ここはステキな場所です。

みずみずしい若葉の匂い、木々のゆれる音、肌にあたるひんやりとした風の感触、
夜空の星のきらめき、黄金色の林、そして冬の山に輝くナイターの明り・・・・・
自然の贈りもので満ちみちています。

時々、心に感じた事や、読んだ本の紹介、聴いた音楽について・・・などなど
らくがきしてみたいと思います。

どうぞよろしく!

(2005.2.1)


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